んで、話を教育基本法に戻しますけども
学校の先生がインタビューで
「愛国心」をどうやって評価するんだ
どうやって1,2,3って決めるんだ
などとぶーたれていました
正直、思いました
オマイあほか、と。
「愛国心」というものを国として教育に盛り込む
その目的はなんなのか考える脳みそないんですか?
子供たちが、日本という国を愛してくれるように、
そして愛することができるように、
日本という国について学び、日本についてもっと良く知る
こう考えることはできないのかな
確かに抽象的でかつ漠然としたことですよ
まぁ、そもそもは科目としてそんなものを盛り込むのはおかしいかと
思いますけども、道徳のただの延長でしょう?
今まで道徳で中途半端にやっていたことを、もっと詳しく、きちんと
やるってだけでしょう。いわゆる心の教育ですよね
これが教師の原点ではないのでしょうか?
数字の計算を覚えさせることが教育ですか?
漢字を覚えさせることが教育ですか?
ただ年号や事件を暗記させることが教育ですか?
ただ実験させることが教育ですか?
教育というのはすべてその先にあるものが目的なのではないでしょうか
算数・数学をやることによって論理性を学び
国語をやることによって文学、言語を学び
社会をやることによって世の中の出来事を知り
理科をやることによってこの世界がどうやって出来ているのか知る
「なぜこうなるのか」と考えられるようになり
他人の考えを知り、自分の考えを具現化できるようになり
この出来事によってこういうふうに変わったんだ、とわかり
世界がどうやって出来ているのかを知り、今後どういう問題があるのか
考えられる
最終的に教育とはそういうものではないでしょうか
ただ単に計算できればいいってものじゃないし
暗記すればいいっていうものではない。
それらで学んだことで、心が豊かになるようにしなければ
意味がないのではないでしょうか
論理性を身に着けるというのは、要するに
駄々こねてばかりじゃダメですよ、ってことです。
子供は到底無理なことを我がまま言って駄々こねたりもしますよね
それを大人がやったら周囲にはとんでもない迷惑をかけますよね
まぁ・・・そういう人も多いですけどね・・・・・・
論理性を身に着けることによってそういうものが無くなるわけですよ
国語で作品の中で文章化された他人の感情を知り、そして自分の考えを
文章化することにより、他人と上手に付き合えるようになりますよね。
初等教育においては特に自分の考えを他人に伝える、というのが
重要視されています。(実際の教育現場では微妙な気はシマスケド。。)
まぁ、そんな感じで、すべては教科書の先に繋がっているわけですよ
一人の人間として、周囲と上手にやっていけるように
日本っていう国を知り、外国との違いを知り、外国ともうまく付き合え
るように
普遍的なモノを知り、一人の地球人として、世界全体が地球規模で
考えなければならないことを知ったり、ね。
すべては精神的なモノに繋がるのではないでしょうか学校が大変なのは重々承知ですけども・・・・
そんな安易な発言が出るということは
ただ教科書の上辺だけしか教えていないっていうことの
裏返しなのではないでしょうか
なんだかとても悲しい気がしました
こんな教師に子供たちはいったい何を学ぶのでしょうか
自分はそもそも道徳を数字で評価することはナンセンスだと考えるわ
けですが、だからといって道徳が不必要だとは全く思っていません
それと同じで、「愛国心」についてを数字で評価するのが難しいから
といって、「愛国心」が必要ないわけではないでしょう。なぜなら
「心の教育」だから。
そんな表面的な視点でしか考えられない教師は・・・・
やはり自分としては、納得できません・・・